にこ繭。(cocoonPのBlog)

はてなダイヤリーからインポートしたかつてのBlogの跡地です。

「見る専Blog」について思うこと

id:sikii_jさんとこのエントリを読んで。コメントにしようと思ったのですが、長くなったためエントリで書きます。

敷居の先住民 - 季節外れの名作誕生の裏には、長い物語があった

まあ僕は元々静止画MADファンだったってのもあるから、エフェクトバリバリなコテコテ演出のMADも大好きなんですけどね。
どうも僕が観測している範囲だとそういうものが叩かれがちなイメージがあるので、擁護する立場を取るのです。好きじゃないのはわかるけど叩くこたあねえべさ。……でも嫌いだって表明することすら押さえ込むような風潮はそれはそれでなんか嫌な感じだなー、ぶっ壊したいなーと思ったりもするし、色々複雑です。

敷居さん、それは認識が逆ですよ。そういうものが過剰にもてはやされ、そして敷居さんが「正統派」と呼んでいるようなものが蔑ろにされていると感じる人が多いから、一見エフェクトとか派手でもそれらはツールの力であって実はたいしたことしてないんだよね、という記事がたくさん出るんです。まさに敷居さんがおっしゃっているのとおなじ意識で書かれているんですよ。
以前から言っているように、その「なぜ気持ちいいのか」を、なぜそうなのか極めてわかりやすいエフェクト動画については敷居さんをはじめとしてみんな記事にするのに、そうでないものについて取り上げている「見る専Blog」は少ないです。自分の観測範囲のなかでは婿固めさんのところくらいです。それ以外だとたいていその人自身が動画を作っている人ですね。tloPのBlogとか。

さいしょからそういうエフェクト動画が大した評価を得ていなくて、地味だけどすごい、そして見る側も気持ちいい(が、それがなぜ気持ちいいのかを誰も説明していない)ものを評価し解説しているサイトがたくさんあれば、そういうものをもてはやす風潮について文句を言う人などいないでしょうね。
多分そういう軋轢は、人の好みが完全に統一されるとても気持ち悪い世界がやってこない限り、永遠に続きます。なので、「叩かれることを恐れる」という行為に意味はありません。逆に、意図して風潮を壊そうとすることにもさほど効果はありません。自分が思うところを素直に述べるのが、書く人にとっても読む人にとっても一番意味のある行為だと自分は愚考するわけです。

エフェクト動画などの見た目が派手なものこそ、スクリーンショットをならべるだけでだいたい把握できますよね。紹介する人が言説を付け加えなくとも、視覚に訴えることができます。
だから自分はスクリーンショットが直接的に視覚に訴えない動画について「なぜ気持ちいいのか」を、この人なら書けるだろうと思っている人にはNudgeするんです。すでにできる能力がある人が現状やっていないのであれば、これからやろうとする人が現れることは到底期待できませんから。


注釈にコメントするのもどうかとも思いますが、

これを言うと「逃げてる」と思われそうで胃が痛いのだけど、評論が宣伝より偉いなんて誰が決めたんだ? というような気持ちもないではない。

結局「逃げてる」んじゃないんですか?

敷居さんは「俺は宣伝を書いている」と語る割には、敷居さんのエントリには宣伝文句がちっとも述べられていません。ただ事実を淡々と述べているだけです。以前のやり取りの際も書いたように、取り上げられている動画はたいていの場合「すでに伸びているもの」です。そのやりとりの際には敷居さんは「ニコマスに興味がない人に訴求すること」が目的である旨のことをおっしゃっていましたが、文脈的には、すでにニコマスについて知っている人に向けたものがほとんどであるように感じます。
では「感想」なのかというと、あんまり主観的に受けた印象を書いてもおられません。主観的に「どう思ったか」または「なぜそう思ったか」ということを説明されている方はそれなりにたくさんおられますよね。たとえば、YaSuYuKiさんであるとか名もなきタグ屋さんとか。でもそういう人たちとも書き口は大きく違う。
そして、「論評」でも「解説」でもないとおっしゃる。しかし、正直な印象を言うならば、上記のようなスタイルであるために、一番近いのは論評だと思うのです。その上で論評じゃないとおっしゃるので、単に論評と言い切れるだけの自信がないので逃げているのだというように感じるのです。
論評が偉いと言っているわけではありません。単に動画をみて思ったこと、感じたことを書きたいと思ったのであれば、レビュー風の客観的な文章を書く必要などないですよね。それでもあえてそういうスタイルを選択しているのですから、敷居さんのスタイルは元来宣伝ではなく論評だと思うのですよ。少なくとも、ニコマスの外の世界に向けた宣伝になっているとは思えません。むしろ、敷居さんご本人の中に「論評は偉い。気軽には手を出せない」という意識があるから尻ごみしているんじゃないですか?

そうは見えないかもしれませんが、自分はいわゆる見る専Blogにはとても敬意を払っていて、それを書く人は、動画を作っている人と同じようにクリエイティブな行為をしていると思っています。逆にいえば、Blogという表現の場で「見る専だから」というのを自嘲的な意味で言い訳として述べる行為には感心しません。
たとえばスポーツだって観戦だけしていても、見続けることで対象に詳しくなっていきます。プレイ経験がないスポーツライターなどごまんといますし、スポーツについて述べているBlogで「俺は観戦専門だけど〜」などといちいち言い訳している人などあまり見かけません。

ではなぜいわゆる「見る専Blog」の書き手の多くはわざわざいちいち「見る専だから」と言い訳するのでしょうか? 単に自分が作り手側だから作っていない人にはわからない部分があるかも知れないからでしょうか。表面上はそう述べられる方も多いでしょう。でも、自分は、そういう人の意は別のところにあると思っています。ようするに、己の記事が的外れであったとしても「いえ、私は見る専ですから」と作り笑いで言い逃れるために、予防線を張っているだけなのではないか、と。
「作り手よりも動画を見ていない」見る専など、見る専を名乗るのはおこがましいのではないだろうか、と感じます。見るのが専門だと名乗りを上げているのでしょう? ちゃんと見ましょうよ。相当数を見ていれば、見る目は必然的に養われるものではないでしょうか。

作っていないことを言い訳にして踏み込まないエントリよりは、踏み込んで書いてあるエントリのほうが読んでいて楽しいし、そこで語られている対象にも興味をひかれます。ましてやニコマスは作り手と受け手の距離が非常に近い世界です。たとえ作者の意図と違っていても、作者が「いやそんなこと全然考えてなかったよ」と書くのも簡単なのです。そしてその連鎖は以前書いた作る側の承認欲求を満たすだけではなく、見る側の「見る専力」をも高めていくのではないでしょうか。
それでも踏み込まないのは、それによって意図と異なる「全然わかってないくせにわかった風なことを書くBlogger」と読者に思われることを恐れているのでしょうか? もしそうであるならば、とてももったいないなと思います。作者の意図を本人に気軽に聞ける創作の場なんて、今までそう沢山はなかったと思いますよ。

「見る専」を自認する方々は、こんな風に「お前チキンだな」的なことを言われて悔しくないんでしょうか。「見る専である」ことを言い訳にする人だって、謙遜の裏に自尊心を隠し持っていますよね。「いや、少なくともお前よりは数を見ている。だからお前が知らないことを把握しているはずだ」と胸を張って言い返す方はいらっしゃらないのでしょうか。見る専であることに誇りを持ってエントリを書いている方はいらっしゃらないのでしょうか。よく、ニコ動はコメントが付いて初めて動画が完成するといわれますよね。そういう集合知めいた集団的創作活動の一端に、Blogだって含まれていると思うのですよ。
見るのが専門であることを誇ったっていいじゃないですか。むしろ、誇れるくらいのことを書けばいいじゃないですか。少なくとも漫画の分野では「漫画読み」と自称して批評や論評をしているBloggerがたくさんいて、とても深い考察から箸にも棒にもかからないたわごとまで世に溢れています。でも、最初からそういうサイトがたくさんあったわけではありません。「漫画読み」諸氏の中から勇気と才気をもった方が現れて活動をしていたから「俺もやってみよう」と思う人が増えたのではないかと。
だから、今「書ける」人たちにはそういったパイオニアになってほしいなと思うんですよ。

そんなことを言うならお前がやれ、と言われそうですが、自分はどこまでいっても「作る側」からの視点で見てしまいます。そして何かを作ることをやめるつもりは今のところはありません。今後一切ニコマス動画を作らなくなったとしても、どこかで必ず何かしら書いたり撮ったり演奏したり動かしたり切り貼りしたりしているでしょう。自分はそういう活動で創意を満たしているので、わざわざBlogで満たそうという気にはなりません。
なので、それは自分が「もうこれ以上何も作りたいものがなくなった」状態になった日の宿題にさせてください(逆に、Blogに何か書いているときはそういったものを作る気分ではないとき、ということでもあります)。

このエントリを読んでちょっとでもカチンと来たあなた。あなたならきっと書けますよ。書いてくださいよ。少し話が飛躍しますが、このままでは、「自分がよいと思ったものを作る」人が減り、商業主義的な「受けが良いものを作る」ほうにシフトしていってしまうと思うのですよ。好きで作っているとはいえ、まったく評価されないままでは心が折れますから。
アイドルマスターがもう新作やCDなどが出なくなって久しい、寂れたコンテンツであるならともかく、アイマスそのものは未だ現役で広く楽しまれている現役のコンテンツなのです。ニコマスというニコ動上の1ジャンルとしてしか存在価値を見いだせないというような空虚な世界になってしまうのは、自分は嫌です。